昨日は仕事を早めに終えて、レイトショウの映画を見に行きました。
「おくりびと」(滝田洋二郎監督)という映画(http://www.okuribito.jp/)です。納棺師という職業を扱っているのが興味深かったのと、この映画がモントリオール映画祭でグランプリを受賞した、というので、懐かしくなったのです。
私は89年から93年まで、カナダの東海岸にあるケベック州モントリオールの大学で環境学を勉強していました。モントリオールは文化の街です。モントリオール交響楽団や、サーカスで有名なシルク・ドゥ・ソレイユがよく知られています。
毎年夏には、ジャズフェスティバルがあり、そしてモントリオール映画祭があるのです。この映画祭では世界中から集まった映画が街中の大小いくつもの映画館で上映されていました。私は映画が好きなので、よく見に行きました。通常は一般の映画館にはかからないようなマイナーな国の、マイナーな映画が見られるので、映画好きにはたまりません。
私の通っていたキャンパスの建物の一階にホールがあり、そこでは映画祭とは関係なく、しょっちゅうマイナーな映画が上映されていました。私はそこで、初めて黒澤や小津の映画を見たのです。最近では、こういう昔の日本映画を大きなスクリーンで見ることは少ないと思います。「羅生門」や「生きる」を大画面で見ることができて、とてもラッキーだったと思います。
さて、「おくりびと」です。もとシブガキ隊の本木雅弘さんが、ある地方で納棺師の方の仕事を見て感動し、この映画の発想を得た、とどこかに書いてありました。医学部で仕事していた頃、解剖を手伝っていたことがあるので、納棺師という仕事も興味津々でした。あ、ところで、まだ「おくりびと」を見ていなくて、これから見る、という方は今日のブログは読まないでくださいね。
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登場する俳優さんたちが皆芸達者です。私が感心したのは、映画に出てくる「遺体」役の方たち。皆さん、見事に「死んで」いらっしゃいます。なかなかああいう風には死んだフリはできません。私が特に感心したのは、映画の中で、中学生くらいの女の子を残して亡くなるお母さん役の方。「納棺の儀」をする前の顔は、まさしく「死人」。病みやつれて、遺影とは似ても似つかない顔に変わっています。
しかし、山崎努演ずるベテラン納棺師の手にかかると、生き生きと、元気だったころの「お母さん」の寝顔に変わります。中学生の娘は「お母さん!」と遺体にすがって号泣し、残された夫は、「あいつは今までで一番きれいでした」と、納棺師に感謝します。
それから、主人公を演ずる本木雅弘さんの努力には感動しました。チェロを演奏する場面が何度も出てくるのですが、さぞ練習したのだろう、と思わせるくらい、堂に入ったものでした。本当に弾いているように見えるのです。この方も、十代でアイドルとして売り出した頃は、ちやほやされる一方で、おそらく周囲の大人の言うままに、右に左にと動かされていたと思いますが、ただのお人形で終わることなく、役者としても成功し、今回のように、自ら映画の原案をつくるまでになるのですから、たいしたものです。
山崎努さんも、さすが、とうなるような円熟した演技を見せてくれました。私は「早春スケッチブック」というドラマを見て以来、この方のファンなのですが、いつ見ても味のある、印象に残る演技をしていらっしゃいます。
本木雅弘の妻役の広末涼子の腹筋にも衝撃を受けました。さすが女優。腹を見せる場面があるとわかれば、おそらく自分に厳しく食事制限やトレーニングをしたのだと思います。みごとな腹筋でした。わが腹を見るたび、「もっと自分に厳しくなれ!」と叱咤するのですが、「ま、どうせいつか死ぬんだし」と自分を甘やかしています。
映画の舞台は山形県、庄内平野の四季が美しく描かれます。この映画を見たら、誰でも山形に行きたくなるのではないでしょうか。私は南国育ちなので、モントリオールに住むまでは、雪を見ることはほとんどありませんでした。映画では、冬はしっかりと降る雪に覆われる風景も出てきます。
そして、この映画で私がもう一つうれしくなったのは、おいしい食べ物がたくさん出てくることです。想像するに、この監督は、食べるのが大好きなのではないでしょうか。ふぐの白子の塩焼き、私も食べてみたいです。日本酒の熱燗と一緒がいいですね。
さらに、クリスマスに、主人公たちがフライドチキンにかぶりつく場面が出てきます。映画の途中でなければ映画館から飛び出してフライドチキン屋さんに駆け込みたくなるシーンです。ここはやはりビールが合うのではないでしょうか。映画の中では、シャンパンを飲みながら食べていましたが。
それに、本木さんが、職業を嫌がった妻に実家に去られて、一人でがんばって生きて行く場面では、1本の大きなフランスパンの上にスモークサーモン(?)を乗せ、さらにテーブルの上で育てているハーブをちぎって乗せて、まるかじりするシーンがあるのですが、「ああ、おいしそう!食べてみたいなあ」と思わせます。
山崎努は、白子を食べながら、「うまいんだなあ、困ったことに」と嘆息し、フライドチキンを食べては本木君から「うまいですか?」と突っ込まれて「うん。困ったことに」とつぶやきます。本当に、困ったものです。山崎努に、座布団一枚!
映画では、重要な役回りをする老人が出てきます。実は火葬場の職員で、お棺を釜に入れて発火させるのがお仕事の方です。その方の「私はここで何人もの人を送ってきて、つくづく『死』は『門』だと思うのです。死は終わりではなく、別の世界に行くための門です。だから私はここを通って行く人に、『いってらっしゃい、また会おうの』と言うのです」という台詞には、映画館のあちこちからすすり泣きの声が・・・。
この場面は、身内を送った経験のある方なら泣かない人はいないのではないでしょうか。私も、まだ身内を見送ったことはありませんが、泣いてしまいました。ええ、そう、「鬼の目にも涙」です。
でも、45歳にもなれば、いろんな知人や友人のお葬式にも参列します。昨年末、亡くなった友人のお葬式で、ご主人が見るのが辛いくらいがっくりとしていらっしゃったのを思い出しました。どんな思いだっただろう、と思います。
死なない人はいないし、両親も、兄弟も、私もいずれ死んで灰になってしまいます。幸いにも家族は皆元気で、まだ実感はわきませんが、死は誰にでも訪れます。普段、私はいろんな嫌なことがあっても、「ま、どうせいつか皆死ぬんだし。死んだらすべて終わりよ」と思うのですが、本当に自分も死ぬんだという実感はまだまだありません。なぜならあまりにも食欲が旺盛だから。本当に、本当に、心底困ったことです。食べ物がおいしく感じなければいいのに。
それになんだか自分ってものすごく元気な気がするのです。髪もつやつやで、よくほめられます。ヘッドスパに行くと、地肌の様子をカメラで撮影して見せてくれたりします。すると、まあ、なんという元気な髪でしょう。一つの毛穴から、3本も髪が、それも「シュン!シュン!」という感じで元気よく跳ねるように伸びています。こんなにいらないよ、というくらいいっぱいです。
ある美容院では、髪を染めるときの薬剤が足りなくなり、「すみません。お薬が足りなくなったので、また作りにいってきます」と2度も途中で継ぎ足しにいかれました。そして小さな声で「普通は足りるんですけど」とつぶやいていました。私は恐縮し、「すみません。他の人の2倍髪があるって言われるんですー」と言い訳をしたら、その美容師さん、「お薬は3倍必要かもしれませんね」と笑っていました。すみませんです。本当に、代金も3倍払わなければ。誰かにあげたいです。普通、45歳にもなれば、だんだんと髪も元気がなくなってくるものですが。
そういえば、先日骨密度を測ってもらったら、同年代の人に比べて1.5倍以上高かったです。測定を担当した看護師さんも、データを見た医者も、あきれ気味に(と、私には聞こえました)、「骨密度高いですねー。グラフからはみ出してますよ」同じことを言っていました。私はもしかすると、いわゆる「スーパーフィーメール」かも?80歳になっても元気いっぱい、100歳近くまで生きたりして?
話が脱線してしまいました。とにかく、「おくりびと」、しみじみ感動したい人にぜひお勧めしたいです。もうひとつ、書き忘れてはいけないのは、音楽がいいです。久石譲。いまや日本の映画音楽はこの人しかいないのか、というくらい欠かせない存在となっています。昔、「風の谷のナウシカ」(宮崎駿監督)というアニメ映画でも音楽を担当していましたがそのサウンドトラックにもチェロの曲があり、とても良かったのを思い出しました。
映画館の観客は、レイトショウということもあったと思いますが、残念ながらとても少なかったです。それにもうすぐ上映も終わるみたいです。もし近くでやっていたら、是非行ってみてください。
戸高 恵美子 (千葉大学環境健康フィールド科学センター 助教)