9月13日から16日までドイツのドレスデンで開かれていた「ヨーロッパ毒性学会」(EUROTOX2009)に参加してきました。
ヨーロッパ毒性学会は、毎年ヨーロッパのどこかの都市で開催されていて、私たちのグループ
もスケジュールが合ってその年に予算があれば出席することにしています。ヨーロッパだけで
はなくもちろん世界の各国から研究者が集まり、さまざまな毒性についての研究報告や、健康影響についての考察、改善方法、教育システムなどについて報告します。
今回私たちも、ケミレスタウンの活動の中から、ケミレス教室(シックスクール対応の教室)の提案、戸建住宅でのシックハウス対策の可能性、人の嗅覚による判定方法の可能性、化学物質に敏感な人をスクリーニングするケミレス必要度テストについて、ポスター発表してきました。
ポスター発表というのは、決められたサイズの一枚のポスターを掲示板に貼り、決められた時間、多くの人の質問に立つ、という発表方法です。
シックハウスはあまり大きなテーマではありませんでしたが、フランスの労働環境衛生に関する国の研究機関の方がたくさんの質問をしてくれました。フランスでは、室内空気中の汚染物質については基準が何も設けられていないのだそうです。日本でもホルムアルデヒドとシロアリ駆除剤のクロルピリフォスのみですが。
その方は、フランスのブドウ農場(もちろんワイン造りのための農場です)での戸外の、農薬による汚染を調べようとして、その対照(コントロール)として、その街の小学校の室内空気を調べたのだそうです。すると、建築後40年以上たつ小学校から、もう使用されていないリンデン(β-HCH)が30ナノグラム/m3程度検出された、とのことでした。濃度としてはそれほど高いわけではないのですが、問題は70年代に使用が禁止されていた農薬が、なぜ今でも出てくるのか、そして、今は濃度が低いけれども建築当初はいったいどれくらいの濃度だったのか、その小学校でずっと教鞭をとっている教師の健康にはどんな影響が出ているのか、といった点です。
まず、発生源の特定がなされました。リンデンが使用されたのは、小学校の屋根の室内側に使用された木材だったことがわかったそうです。建築の際に、この木材にリンデンをしみこませ、害虫が発生するのを抑えようとしたわけです。これがその後40年以上も室内に揮発し続けていたのです。
この研究者によれば、小学校の関係者に対して細かい説明会を何度か催し、住民や学校の先生方の疑問に答え、参加者全員で今後どうするかを考え、結局この小学校は老朽化もあって取り壊し、今はまったく新しい建物が建っている、とのことでした。彼は、「これまではいつも一方的に行政が『これこれこういう問題が発生しましたのでこうします』といって何事も決定していたのに、今回は興味のある関係者がみんな集まって結論を出したのがよかった」と言っていました。
それにしても、この小学校の汚染問題は、まれなケースなのでしょうか。調べたら、同様の事例がもっとたくさんあるのではないでしょうか。今、かつて建材の一部に使用されていたアスベストが大問題になっています。日本の大学でも、古い校舎を改修しようとしたら、壁の材料にアスベストが使用されているのがわかり、工事の期間が長引くことがあります。このような改修工事をする担当の方たちも、大きなリスクを負いながら工事をすることになるのです。
余談ですが、私がかつて新聞記者をしていたころも、アスベストが問題になったことがありました。1990年代のことです。当時環境庁長官をしていた方が理事をしていた学校の古い校舎の天井から、アスベストが見つかった、というようなことが一部メディアに取り上げられました。しかし、当時はまだ「アスベストは直接曝露しなければ問題ない」と多くの専門家は言っていたのです。たとえ天井に使っていても、封じ込められていればまったく問題ない、との意見を聞きました。私も何人かの方に取材しましたが、問題だ、と強く言う方はいらっしゃらず、記事にもしなかった思い出があります。ところが、この問題も、たとえばある医者は「アスベストを扱っていた労働者と肺の中皮腫との間には因果関係が明らかにある。直接曝露していた労働者だけでなく、家族も、周辺住民も被害を受けている。いずれ大問題になる」と地道な診療活動をして、アスベストの対策を訴えていたのですが、その声がメディアに取り上げられることはありませんでした。
中皮腫が非常に診断の難しい病気であることも原因の一つですが、やはり、「アスベストのリスクは非常に小さい」という一般的に浸透した考えがあったのだと思います。ところが、アスベストは時限爆弾のように、短期間曝露しただけでも数十年後に肺がんとなって影響が現れることがわかってきました。アスベストに曝露していた労働者の妻が、夫の作業着を洗濯していたために微量のアスベストを吸引し、それによって中皮腫になるなど、かつては誰も想像していなかったと思います。
このような現状を見ると、汚染物質のリスクの評価が非常に難しいことが改めてわかります。フランスの小学校のケースでも、長年その小学校で勤務している教師たちは、リンデン汚染によってどのような影響が出てくるのかを不安に思っているとのことですが、当然の不安でしょう。
私たちケミレスタウン・プロジェクトの研究者も、微量であっても子供やお腹の中の赤ちゃんが汚染物質にさらされたときにどのような影響が出てくるのか、よく見ていかなければなりません。近年、小児アレルギーが急増していますが、これは日本だけの現象ではありません。今年9月29日には、韓国から12名の医者や行政担当者らのグループが視察にいらっしゃいました。韓国でもアトピー性皮膚炎が非常に増えている、とのことでした。もともとアレルギーの素因があるところに、高気密の家に引っ越したためにそれがきっかけになったのでしょうか。もちろん、室内空気だけが原因ではなく、食物経由の汚染や日用品経由の何らかの原因物質への曝露も発症の引き金になっていることと思われます。現代社会は複雑ですので、いろいろな可能性を考えなければなりません。非常に難しい問題で、単純には結論は出そうにありません。